トピックス
コラム

おサルに願いを⑫日吉大社の神猿さん-その2-

その他

こんにちは。二助企画です。

 

「おサルに願いを」シリーズ第12弾です。

 

前回は、比叡山のふもとに鎮座する日吉大社の神猿さんについてのお話でした。『古来より「日吉といえば猿」と言われているほど、おサルさんと縁の深い神社です』とご紹介したものの、、、

 

実は日吉大社と猿の因果については、「明確ではない」というのは本当のところ!

 

ただ、境内のいたるところに神猿さんの存在を感じますし、おサルさんとの関係が深いことは事実。鎌倉時代に成立した山王神道の書「耀天記(ようてんき)」には『神という文字は、日吉の申(さる)に示すと書くから、神があらわれる時には、申に姿を借りて示される』と述べられています。

 

ここから、少なくとも鎌倉時代には日吉大社で、神猿さんの存在が認められていたと推測できますね。

 

ところで、日吉大社は、西本宮(旧大宮)と東本宮(旧二宮)とを中心に、ふたつのグループからなります。それぞれに楼門がありますが、西本宮楼門ではたくさん神猿さんをお見掛けする一方で、東本宮楼門には、棟持猿もおらず、蟇股にもおサルさんがいません。なんだかちょっと不思議ですね。

 

その不思議に迫るために、日吉大社の歴史を紐解くことにします。

 

東本宮はもともとこの地に祀られていた地主神。そして、西本宮は後から祀られた国家神的な存在です。つまり、山を守る東本宮の神と国家を守る西本宮の神というわけです。

 

より歴史の古い東本宮楼門で、おサルさんをみかけないということは、日吉大社とおサルさんの関係は、西本宮ができてからなのか?と考えることもできます。しかし、そうではないようです。

 

東本宮には、大物忌神社があります。こちらは、東本宮の御祭神である大山咋神(おおやまいくのかみ)の父神様である大年神(おおとしのかみ)が、御祭神です。ちなみに創建は、なんと平安時代と言われているそう!歴史が古い!

 

なぜ、この神社について触れたのかというと、、、御祭神はおサルさんの顔をされた神様なのです、、、!

(画像:二助企画)

 

更に、東本宮楼門の内側には、樹下宮(じゅげぐう)があるのですが、ここのお神輿には、松の上で楽しく遊ぶ神猿さんの装飾が施されています。(収納されているのは、東本宮ではなく、東本宮と西本宮の間にある神輿収納庫)

 

(画像:日吉大社ウェブサイトよりお借りしました)

 

加えて、東本宮参道の脇には、「猿の霊石」と呼ばれている大きな霊石があります。

(画像:二助企画)

 

この猿岩、かなりの大きさ。しゃがみこんだおサルさんの形にそっくりということで親しまれているのですが、実際に目にすると「納得!」と声を上げたくなるほど、おサルさんっぽい雰囲気です。

 

こうしてみると、東本宮には楼門にこそおサルさんはお見掛けしないものの、しっかりとおサルさんとのご縁を感じとることができますね。

 

また動物神話に詳しい「世界動物神話(篠田智知和基著)」において、興味深い分析にも出会いました。要約すると

 

東本宮は山を守る神ですが、かつての比叡山には、猿が群生しておりその猿の群れがいっせいに木の枝を渡って移動すると、山全体がうねるように見え、当時の人々はそれを水神の龍と見たのではないか。猿が山から下りてきて田畑を荒らすということは、龍神が使いのサルを通して神餞(しんせん:神社や祭りの儀式において神々に供えるための食べ物や飲み物)を求めたと捉えたのだろう、と。

 

なるほど、何となくおサルさんが神猿として日吉大社で活躍していたことが、目に浮かぶようにイメージできる分析です!

 

長くなってしまいましたので、今回はここまで。次回もおサルさんと日吉大社の関係性について、迫っていきます。

 

 

二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。

猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。

ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

また次回のブログでお会いしましょう!

 

 

参考文献

・世界動物神話/篠田知和基 八坂書房

・サル その歴史・文化・生態/デズモンド・モリス 伊達淳訳 白水社

・アニマルロアの提唱‐ヒトとサルの民俗学/廣瀬鎮 未来社

・週刊神社紀行特装版 日吉大社 湖国に鎮まる山王さん

・山王総本山 日吉大社

https://hiyoshitaisha.jp/

 

その他

MENU