おサルに願いを⑬日吉大社の神猿さん-その3-
新年あけましておめでとうございます。二助企画です。
本年のスタートは引き続き、「おサルに願いを」シリーズ。今回は第13弾となります。
年末には、比叡山のふもとに鎮座する日吉大社とおサルさんの関係について、日吉大社の歴史を紐解きながら、様々な角度からご紹介していきました。引き続き、日吉大社とおサルさんについてのお話です。
まずは、猿の文字が入る猿楽について。
明治になるまでは、現在の能と狂言は、あわせて「猿楽(申楽)」と呼ばれていました。そして、日吉大社のある近江においては、「近江猿楽」が盛んでした。
近江猿楽については、日吉神社・多賀神社が強い勢力を持っており、山階(やましな)、下坂、比叡は上三座、敏満寺、大森、酒人は下三座と呼ばれていました。江戸時代初期には大和猿楽の観世座に吸収され消滅しましたが、日吉大社では現在でも年に2回、能と狂言の奉納がされています。
そして日吉大社において、おサルさんに関するもので奉納されていると言えば、絵馬。
寛政4年(1792年)、円山応挙の高弟である長澤芹雪が描いた親子(母子)の「猿図」の絵馬が、日吉大社に奉納されています。現物は絵具の剥落が激しいため、現在西本宮で見れる絵馬は、平成27年に成安造形大学が復元模写したものとなります。
(画像:二助企画)
ところで日吉大社では、一般の方が祈願を込めて書く絵馬には、神猿さんがデザインされています。おサルさんの表情を自分で好きに描けるとても可愛らしい絵馬です。
(画像:二助企画)
日吉大社における、おサルさんと絵についてのご紹介といえば 「日吉山王垂迹神曼荼羅」。
(画像:日吉大社ウェブサイトよりお借りしました)
山王曼荼羅とは、日吉社の神々の姿を描いたもので、その多くは美術館や寺院に所蔵されています。日吉大社に残されているものは、非公開のため直接拝見することができないのですが、3匹の神猿さんが描かれています。
次にご紹介するのは、日吉大社に伝わる神猿さんに関する伝説について。
文永元年(1264年)、延暦寺が神輿を繰り出して強訴(武装して朝廷に訴えでること)した時のこと。僧兵が西本宮楼門の回廊に松明を持って登ったところ、大きな猿が9匹出てきて、その松明を取り上げた、という言い伝えがあります。この話は、延暦寺の公式記録「天台座主記」に残されているそう。
そして、もうひとつの伝説は、神猿さんが天皇の身代わりになったというもの。
天皇が病にかかると、神猿も同じ病にかかると言われていたそうです。江戸時代の初期、後西天皇が疱瘡(ほうそう:天然痘のこと)になったときも、神猿が疱瘡となり、天皇の身代わりとなり死んだという話があります。
日吉大社とおサルさんについてのエピソード、かなりご紹介してきましたが、まだお伝えしたいことがあるんです!次回も引き続き、日吉大社とおサルさんのお話。もうしばらくお付き合いくださいね。
二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。
猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。
ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。
最後までお読みいただきありがとうございました。
また次回のブログでお会いしましょう!
参考文献
・世界動物神話/篠田知和基 八坂書房
・サル その歴史・文化・生態/デズモンド・モリス 伊達淳訳 白水社
・アニマルロアの提唱‐ヒトとサルの民俗学/廣瀬鎮 未来社
・週刊神社紀行特装版 日吉大社 湖国に鎮まる山王さん
・山王総本山 日吉大社
・the 能楽.com
https://db2.the-noh.com/jdic/2011/12/post_296.html
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