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日本人とサル

民俗学その他

こんにちは。二助企画です。                         

 

二助企画のWEBサイトでは、猿まわしの歴史について、ご紹介しています。文献上で猿まわしについて初めて言及されたのは、13世紀。鎌倉幕府が編纂した歴史書「吾妻鏡」の中の記事の中でした。しかし当然ながら、猿はもっと遥か昔から、私たち日本人にとって身近な存在でした。

 

今回は考古学の分野から、日本人とサルの関係について迫っていきます。

 

サルと一言で言っても、世界には180200種類のサルがいます。しかし現在、日本に棲息しているサルは、ニホンザルのみ。従って日本でサルといえば、一般的にはニホンザルのことを意味しますね。

 

とは言え実は、大昔の日本には、ニホンザル以外にもう1種類の化石が見つかっています。その化石の名前は、カナガワピテクス(神奈川県愛甲郡の地層から出土)。このカナガワピテクスは、日本で「一番古いサルの化石」で、約300万年前の頭骨。ニホンザルとは親戚の関係なんだとか。

 

時代はすすみ、縄文時代のお話。土偶を調査することで、日本人とサルの関係について、想像することができます。

 

青森県弘前市の十面沢遺跡の土製品は、毛穴を表現していると思われる点が体中にあり、「尻だこ」や短い尾があることから、猿を表していると考えられています。他方、縄文時代の土偶の中には、サルとヒトと四脚動物が融合したものも。サルとヒトは、近い存在であると認知されていたようです。

 

縄文時代の貝塚をくまなく調査した結果をまとめた「日本縄文石器時代食料総説」(酒詰仲男)では、「サルの肉は勿論食用になり、毛皮も有用である。それに最も人類に近いこの獣は、やはり一種の神らしき存在であったのであろう」という表現があります。

 

「神らしき存在」というところの根拠となるのが、愛知県伊川津貝塚の例。一体分まとまってサルの骨が出土していて、更にサルの橈骨(とうこつ:前腕の親指側にある長骨)を使った装身具が見つかっています。

 

詳細は割愛しますが、その装身具は現在のピアスのようなもので、ごく限られた(恐らく身分の高い)人物が身に付けていたと予測できるのだとか。この時代のリーダーたちは、祖先とコンタクトを取るなど、呪術的な要素を望まれていたので、サルがその媒介を担う役割を持っていたと考えられるようです。

 

更に時代をすすめ、天武朝の675年に出された殺生の禁断令について。その対象は、ウシ、ウマ、イヌ、ニワトリといった家畜に加え、ただひとつ野生のサルが加わっていた点からも、この時代でも人々はサルに聖性を見出していたと言えそうです。

 

民俗学の観点からも、サルは新馬を含む馬の守り神であったとされ、猿まわしの原型は、病気のウマの治療や平常の無病息災を祈って厩舎でサルに舞を舞わせたことだと言われています。

 

こうしてみていると、日本人はサルを捕食しながらも、呪術の媒介となる神聖な生き物として扱う風習があったようですね。

 

最後に、もうひとつ。

 

サルは、日本人にとって「薬」としての役割も果たしていたようです。薬用についての詳細は、割愛しますが、明治初期から1940年代にかけて、サルは食料・薬用資源として大量に捕獲されてきました。その結果、明治以降戦前までは、サルの分布は縮小したと言われています。

 

その後の近代については、野生のサルによる農作物の被害についてのトピックが散見されるようになりますが、その話は改めましょう。

 

 

二助企画は、日本の伝統芸能猿まわしのプロフェッショナル集団。

猿まわしやニホンザルのことについて、あらゆる領域から情報発信をしてまいります。

ブログは毎月2回、第1・3金曜日に公開予定。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

また次回のブログでお会いしましょう!

 

 

主な参考文献・サイト(順不同)

・化石が語るサルの進化・ヒトの進化/高井正成 中務真人 丸善出版

・十二支になった動物たちの考古学/設楽博己 新泉社

・アニマルロアの提唱‐ヒトとサルの民俗学/廣瀬鎮 未来社

・ニホンザルによる農作物被害の現状と被害対策の基本/兵庫県立大学自然・観光化学研究所

http://jppa.or.jp/archive/pdf/62_04_13.pdf

 

 

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